4.就職(後悔と発奮)
昭和40年、日立や日産、三菱重工向けの機械部品製造会社に入社初日、配属部署で、学業を疎かにした己の無力を思い知る。以来社内技術のレベルに追い付き追い越そうと発奮、各現場で機器の要点を学習し、その運用技術を修得する。
入社1年半後、小型家電メーカーに出向、設計技術と実製品の取り纏めや見積の出し方、各種材料の知識とその用法と加工技法に付いて又プラスチックやその金型等の技術を習得する。
入社2年半プレス部品加工の部署を担当、ここで社内外工場の技術を合せた各種の金属部品の塑性加工法を修業する。この頃の私は金属等の加工に於ける幅広い知識と、ものづくりに関する発想力では社内の誰にも負けないという過剰な自意識が芽生え始め、独立を考え始める。
26歳(夏頃)